講話内容

脇田修 館長 講話
日  時 平成21年9月15日(火)15:30〜17:30
場  所 関西経済同友会 会議室(中之島センタービル28階)
講  師 脇田 修 大阪歴史博物館 館長

講話内容
◆緒方洪庵の生い立ち
 緒方洪庵先生は、1810年(文化7年)、備中足守藩、木下家2万5千石の藩士(現在の岡山市内の西北)の生まれである。実家は佐伯家と言い、十数石の中堅の家臣であり、そんなに豊かな家計ではなかった。父親が大坂の蔵屋敷の留守居役になった際に、洪庵先生も同道することになった。洪庵先生は、その時に、中天游という大坂の蘭学者の塾に入られた。その後、江戸に行かれたりするが、かなり苦学されたのではないかと思う。そして、1838年(天保9年)に瓦町、45年(弘化2年)に、過書町に適々斎塾、適塾をつくられた。
◆適塾での指導
 洪庵先生の弟子は、3,000人とも言われているが、非常に立派な指導者であったと思う。「安逸を思わず、名利を顧みず、唯おのれをすて、人を救はんことを希ふべし」、また、医者は、病人の貴賤貧富を顧みず、病気だけを見ろ、その上で、「命を与ふとも其命を繋ぐの資を奪はば、亦何の益かあらん」と述べ、病人の費用も考えてやれと。こういった具体的なことを塾生に指導されていた。また、医者は病人の信任を得ないといけない。周りの多くの人の好意を得なければならない。俗情(世間)のことも知っていなければならない等の言葉も残されている。さて、洪庵先生の日常は、正月も2日から往診に出かけられるなど、ほとんど休みなく、医者として働かれていたようである。もちろん謹直に生活し、そして勉強もなさっていた。
◆弟子について
 洪庵先生のもとからは、明治維新で活躍した著名な人物が数多く輩出した。官軍参謀の大村益次郎、幕府方で、五稜郭まで粘った大鳥圭介、日本赤十字をつくった佐野常民、医者の長与専斎、高松凌雲、そして福沢諭吉など。諭吉は「福翁自伝」で、当時の適塾の様子を描写しているが、これによると、誰も寝るための枕を持っておらず、勉強して、ごろ寝をして、起きてはまた勉強するといった、当時の塾生達の猛勉強ぶりを窺い知ることができる。




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